陶材と陶歯
陶材の歴史
現在では多くのメーカーから陶材が発売されているが、当時は術者(多くは歯科医師)自らが陶材を用いて人工歯を製作しており、わが国では1932年頃から愛歯社で製作されていた記録がある。
1940年頃になると、第二次世界大戦による日米関係の悪化の影響を受け、輸入品のみならず国産品でさえ入手が困難になった。このような状況から陶材を使用した製作作業は中止せざるをえず、その代用品として歯科用レジンが発売され、瞬く間に普及した。
しかし戦後、摩耗や変色、歯肉の炎症を惹起するなど当時のレジンの欠点が問題視され、1949年頃から陶材が再度見直されることとなった。当時は陶材を熟知している人が皆無であったため、まずは材料探しから始まったという。こうして、陶材を用いた補綴物製作が再開された。
だが、その後も材料不足などが原因で色を増やすこともできないまま、陶材の色調再現性はなかなか向上しなかった。ようやく1953年頃から、アメリカのS.S.White社が開発した新しい陶材を入手できるようになったが、それ以降も術者の試行錯誤が続いた。
陶歯の登場
ここでは2つの陶歯を挙げながら、わが国での陶歯の歩みを述べる。

1.ニューヒュー床用陶歯(アメリカ、デンツプライ社)
ニューヒューとは「新たに色調、色相(hue)を考えた」という意味である。
※この陶歯が登場したのは1939年であり、1950年にはデンツプライ社(アメリカ)より真空焼成陶歯が発表されている

2.真空焼成陶歯(松風社)

1952年、松風社から発表された真空焼成による継続歯用の陶歯は、厚生省(当時)より高く評価され、研究助成金が交付されるほどだった。
わが国では本製品の登場により、既製品陶歯に形態修正を施して患者に適応させるという手法(べニア法)が徐々に根付いていった。
ただ当時、陶材にジャケット冠は少数の歯科医師からの注文に限られていた。これは、切削器具や印象材といった材料の貧困さ以上に、国民の経済的な理由が大きかったと思われる。その為、陶材ジャケット冠ではなく継続歯用陶歯が普及したのである。

その後1957年頃には床用陶歯、ロングピン陶歯(金床陶歯)、チューブ陶歯(開管陶歯)が登場したほか、床用陶歯を加工し、リバースピン陶歯として使用することもあった。




チューブ陶歯(開管陶歯)を応用したブリッジ
陶歯は上下顎の臼歯に応用されたが、特に下顎に適していた。当時は咬合面を金属で回復する手法が主流であった。右の写真は小臼歯を支台とし、井上式アタッチメントを使用したチューブ陶歯を用いている。

ツルバイト社のロングビン陶歯



スチール陶歯
前歯用のポンティック。保持は陶歯舌側のレール型の溝およびこれに適合する裏装板による。舌側面形態を鋳接するか、または流鑞法にて舌面を形成。プラスチック製の裏装板もあり、これにワックスアップして鋳造していた。

リバースピン穿孔器

リバースピン陶歯
左の2つはリバースピン陶歯、右の2つは床用陶歯を穿孔して使用

松風のポストクラウン陶歯