木冠と金冠
木冠
 金冠製作法など近代歯科医術が伝わる以前,わが国では木冠による歯冠修復がなされていた。1950年,岡山市大野辻(現・岡山市北区)で田んぼの中にあった棺内から大白歯の木冠が発見されたことにより,この技術が明らかになった。この木冠はツゲの木を用いて制作されたており,咬合面は天然歯の概形に似せて彫られ,内部をくり抜くことで側面を形成していたようである。  ちなみに,棺内の者は,岡山県御津郡にある妙覚寺の開祖であった日円上人という説と,日蓮宗不受不施派の日学上人という2つの説がある。前者は1666年に没しており,後者については1832年以降の足跡を語る資料はないが,研究者らの間では現在,木冠の装着者は日学上人であるという説が有力なようである。  また,木床義歯など木材を用いた補綴物に関してわが国は独自の技術を確立していった。現在知られている最古の木床義歯は,1538年に74歳でなくなった女性が使用していた上顎総義歯である。さらに,世界で唯一現存する木製の継続歯も1800年代初頭に制作されたと推測されており,その技術には目を見張るものがある。
金冠

 世界的に見て,アメリカの歯科雑誌「The Dental cosmos」(Jones & White 社. 1859〜1936年)創刊以前は,体系的な歯科医学は確立しておらず,補綴治療の技術には一定した基準が存在しなかった.そして雑誌創刊から約10年間,歯科医師らは自己流の手法を編み出していったが,金属を用いて歯冠修復する金属冠の技術やブリッジの技術はほとんど進歩がなかったようだ。
しかし,1869年にW.N.Morrison氏が嚼面圧印金属冠(モリソン金冠)を発表し,1876年にはC.M.Richimondo氏がリッチモンド継続歯を考案するなど,その技術は飛躍的に進化した。また,同時期には歯牙への固定に適したセメントも開発されるなど,当時の発展は金属冠やブリッジ制作の初期のシステムに欠かせないものとなり,間もなくこれがアメリカの固定性ブリッジの制作法として,全世界に知られるようになった。

わが国への金冠伝来

 アメリカで確立した金属冠(金冠)の技術は,いつ頃わが国に伝わったのだろうか。一説には片山敦彦(生年不詳〜1908年)が1890年にアメリカから帰国し,架工術や継続歯,金冠を伝えたと言われている。
しかし,1894年にアメリカから帰国した一井正典(1862〜1929年)も架工術,金冠の術式を示し,単独歯の金冠を制作していたという。だが,富安 晋(1860〜1927年)が1894年に記した「口腔に関する雑言」という小冊子の中ですでに金冠が普及し始めていたことがうかがえる記述があることから,金冠は1894年以前に伝わったと考えられる。この冊子は,一井が帰国後の同年12月に出版されてはいるが,金冠は片山によってわが国に紹介されたとするのが妥当ではないかと筆者らは考える。

 その後,一井や奥村鶴吉(1881〜1959年)といった当時を代表する歯科医師が金冠の研究を進め,歯科修復法の基礎を築いた。
仏姫の木床義歯
撮影:本平孝志
  1538年以前に作られていたと思われる木床義歯で世界最古の義歯である。
和歌山市にある願成寺の仏姫という尼僧が使用していたと伝えられている

1950年に岡山市で発見された木冠
  ツゲの生が用いられており、咬合面は天然歯に似せて彫られている