歯科機械の始祖
日本の歯科器械の歴史は,清水卯三郎(1829〜1910年)を始祖として始まった。卯三郎は武蔵国埼玉郡羽 生村(現・埼玉県羽生市)生まれの実業家で,若くして江戸において商いを営むなか,1867年,幕命により パリ万国博覧会に随行し,アメリカを経由して翌年帰国する。この経験が卯三郎が歯科領域へ関心を抱くきっかけとなり,1868年に浅草に「瑞穂屋商店」を開店。1875年にはアメリカのS.S.ホワイト社から歯科器械を輸入 し,販売を開始した。これがわが国における歯科器械販売業の始まりとなったのである。 その輸入第1号となった製品は,鉄蓋釜(蒸和釜),砥石車(レーズ),錐ヤスリ,歯抜,金切,アマルガムなど12点であった。
東京都世田谷区の乗満寺から埼玉県羽生市の正光寺に移転・改装された「しみずうさぶろうのはか」
清水卯三郎夫妻、長男、次男夫婦、孫夫婦の墓碑および歯科時報社社長・中安順次郎が寄贈した墓史は世田谷区烏山の乗満寺の清水家墓地にあったが、「清水卯三郎を研究・顕彰する会」の努力によって羽生市北2丁目の正光寺境内に移転・改装され、1998年11月にその開眼供養式典が行われた。正光寺本殿に向かって右側の鐘桜手前に位置する。
清水卯三郎誕生の地(埼玉県羽生市4-2-28)の標識と清水卯三郎を告げる案内板
卯三郎が歯科界に残した功績は大きい。明治初年から卯三郎がなくなるまでの30年にわたる歯科機械の歴史は卯三郎の歴史そのものでもあった。
清水卯三郎像
日本の文化向上に尽くした功績は郷土の誇りと称えられ、羽生市市民プラザ前に建てられた。