蒸和釜とゴム床義歯

蒸和釜は,ゴム床義歯を制作する際に使用するものである。そもそもゴム床義歯が我が国に持ち込まれたのは, アメリカの発明家,グッドイヤー(Charles Good-year: 1800〜1860年)の発明から約半世紀後の1880年頃で,当時は「西洋義歯」と呼ばれていた。一方,このゴム床義歯の流入により,それまでわが国において独自の発達を遂げてきた木床義歯は,「皇国義歯」という名を残して300年の歴史を閉じることとなった。
ゴム床義歯は,未蒸和ゴムを切断してフラスコに詰め,135°Cで1時間ほど加硫(蒸和)するという工程を経る。普通の鍋では100°C以上にならず制作できないため,蒸和釜に水を入れ密栓して火にかけ,内部温度を100°C以上にすることで制作する。したがって,蒸和釜の蓋および蓋を押さえる装置も頑丈でなければならないが,それまでの蒸和釜は複数枚の鉄板を溶接して制作されており,継ぎ目から蒸気が漏れることが多く,爆発(罐胴爆発)に至ることも少なくなかった。しかし1918年,山中卯八が,強力な水圧ポンプを利用することで胴の厚い無溶接の蒸和釜の制作に成功した。

器械職人であった山中卯八は,清水卯三郎が経営する瑞穂屋工場を1903年に退職した後,沖電気など神田や芝付近の工場で器械製作の修行を続け,1906年,28歳のときに独立。1909年には本所柳原(現・東京都墨田区)に工場を移転して吉田鉄工所の看板を掲げ,足踏みエンジンや鋳造製の無昇降イスなどの歯科器械の製造を開始した。これが吉田製作所の始まりである。蒸和釜の改良もこの工場で行われたのだろう。
山中卯八によって改良された蒸和釜
無溶接での制作が可能となったことで罐胴爆発の発生が大幅に減少した。この蒸和釜は満州・上海を経てアメリカにまで輸出され、日本製歯科機械の海外進出の先駆けとなった。蒸和釜を熱するヒーターにはガスと石油の2種類があった。
歯科用蒸和ゴム
蒸和ゴムには義歯床用としてブラウン、オレンジ、ゴールドダスト、ブラックなどの色調が揃い、歯肉用には写真のようにピンクやライトピンクなどがあった。
加硫重合用フラスコとフラスコボルト(前列)およびフラスコプレス
フラスコには大きさの異なる全顎・片顎用があり、蒸和ゴムを填入したフラスコをフラスコプレスで加圧し、その後フラスコボルトで固定して蒸和釜にて硬化させていた。