大正時代に入ると電気エンジンへの移行が始まった。ただ,足踏みエンジンは国産品が普及していたものの,
電気エンジンはいまだアメリカのリター社やS.S.ホワイト社などからの輸入に頼っており,技術を持たない卸売業者たちはその修理に閉口していたという。
そのような中,1919年に島田辰次郎(1880〜1953)がリター社のものに似せた電気エンジンを製作した。
これがわが国における電気エンジンの始まりとされている。辰次郎は,清水卯三郎が経営する瑞穂屋工場の下請工場で働いていたが,その後はすぐに独立することなく夜間の工業学校に入学し,電気を学んだ。ここでの勉学を活かして製作された電気エンジンは,電気時代の到来を見越した先見性の賜物と言えるであろう。